2005年3月28日(土)
前回は、【清涼殿せいりょうでん】 までの、拝観を紹介しました。
その後の、拝観を紹介します。
【各建物の説明は、御所配布パンフレットによる】
御所配置図と拝観経路図(赤と青矢印)
参観順路は、
①宜秋門(ぎしゅうもん)→②御車寄→③新御車寄→④建礼門(けんれいもん)→⑤紫宸殿前(ししんでんまえ)→⑥清涼殿(せいりょうでん)→⑦小御所→⑧蹴鞠の庭(けまりのにわ)→⑨御学門所→⑩「剣璽の間(けんじのま)→⑪御常御殿(おつねごてん)→⑫御内庭(ごないてい)→終了と成っている。
【御池庭】おいけにわ
文字通り大きい池を中心とした回遊式庭園で、前面には洲浜(すはま)があり、その中に飛石を配して船着きに導いている。
右手にゆっくりと弧を描いた欅橋(けやきばし)が架かり、対岸にはこんもり繁る樹木を配し、苑路から様々に変化する景色を楽しむことができる。
御池庭の架かる欅橋
池内にある洲浜
洲浜のアップ写真
池側から見た欅端
【小御所】こごしょ
紫宸殿の北東、御池庭に面して建つ入母屋檜皮葺の小御所は、平安朝の内裏には見られない御殿である。
元服(げんぷく)成年式などの儀式に用いられ、また、天皇が将軍や諸候と対面される場所ともされる。
王政復古の大号令が発せられた後の「小御所会議」は慶応3年12月9日の夜、ここで行われた。
寝殿造りを基本にしながら、母屋は三室に仕切られ、畳を敷きつめて天井を張った書院造り風になっている。
蔀(しとみ)は半蔀(はじとみ)で上部を外側に釣り上げ、下部ははめ込み式である。
昭和29年に焼失、昭和33年に復元されたものである。
小御所
小御所の回廊欄干
小御所を拝観するハンス・エーク氏と友子・ハンソンさん
【蹴鞠の庭】けまりのにわ
小御所と御学問所の間の四角い庭を鞠懸(まりかがり)、また蹴鞠の庭という。
蹴鞠の庭の全景
小御所の北に位置し、蹴鞠の庭をはさんで東に面し、入母屋檜皮葺の御殿である。
格子の蔀に代えて舞良戸(まいらど)(遣戸、引戸)で四囲を閉ざす点や、床や違い棚を備えている点で、一層書院造りに近い建築様式である。
必ずしも学問のためだけの御殿ではなく、和歌の会などにも用いられた。
御学問所
御学問所近くの塀修理作業とそれを見学するハンス・エーク氏
【御常御殿】おつねごてん
御学問所の北に位置し、京都御所の中で最も大きな御殿で、内部は十五室の書院造りの様式である。
天皇が日常生活を営まれる御殿は、平安遷都当初の仁寿殿(じじゅうでん)から清涼殿に移ったが、やがて清涼殿の居住様式の変化に対応できなくなったことから、豊臣秀吉の行った天正度(てんしょうど)の造営に際して、御常御殿が別棟として建てられるようになった。
安政2年(1855年)の再建になる現在の御常御殿は、実用性を重んじ機能的な造りに加え、剣璽(けんじ)を奉安する「剣璽の間」など格式のある間も備えられている。
御常御殿から奥(北側)はいわゆる奥向きの御殿といわれている。
御常御殿内の様子と襖絵
御常御殿
御常御殿
御常御殿向かいの御内庭
御内庭
迎春と御涼所
御内庭の御涼所側
御常御殿に付随する剣璽の間(けんじのま)
剣璽の間
御三間(おみま)
御三間(おみま)の外側
御三間(おみま)の拝観コース外にある大きなスペース
この先に拝観者出入り口が有り拝観終了となる。
御所の外側から見た建礼門
建礼門付近から見た大文字山とそのアップ
京都御所終り。