2005年2月23日(水)
ハンス・エーク日本講演第一回会場、長野市(会場:長野市メルパルク長野)
札幌を離れて4日目になるが、本州はつくづく寒いと思った。
これは、建物内の話で、暖房と断熱の違いだろう。
『よくこちらの人は、耐えているな』と思った。
北海道の暖房が効いた住いが恋しい。
たぶんハンス・エーク氏も、スウェーデンの建物が恋しいだろうと思った。
昨夜は、風邪ぎみで布団を2枚重ねにして寝たが、堀内さんの イビキと宮坂さんの真夜中の一人説教で、何回か目がさめた。
耳栓をして寝たのだが、二人からの交互の攻撃の前では効果はあまり無かった。
朝のホテル内は、特に寒く感じた。
泊まった松籟荘は昭和14年(1939年)に完成した木造数寄屋造の建物の為、気密不足の建具や断熱材等入っていない床、壁、天井ではしかたのない事だろう。
しかし、信州地方のこの時期の寒さは、北海道と余り差が無い様に思える。
この状況で、この地方の建物の断熱・気密はどの程度なのだろう。
やはり、夏を基準に開放的で、断熱の効用を考えない造りが主流なのではないか。
断熱・気密の効果を情報発信していかねば、日本の建物は改善出来ないとつくづく思う。
そう言う意味でも、この講演は意義が有ると思った。
朝食は昨夜の大広間で食べた。
ハンス・エーク氏と友子・ハンソンさんは、正装して席についていた。
日本での最初の講演になる今日の意気込みを感じた。
ハンス・エーク氏は、朝食が終わると出発時間を聞き、それまでの間、ホテル内を撮影したいと荷物を持ってロビーに向かった。
このホテルには、いろいろお宝があり、撮影にはもってこいでした。
堀内事務局長は、部屋で出発間際まで講演で使うパワーポイントを再確認していた。
人知れず準備する姿に、講演の成功がうかがえました。
旅館を出発し開場である長野市内のメルパルク長野に向かった。
ハンス・エーク氏は車中から見える家々に付いてこんな質問が出た。 Q:『家の換気排気口が屋根から出ていなが?』なぜか。
ハンス・エーク氏の質問に、綿半鋼機㈱の宮下部長と私が答えた。
換気方式は第三種換気が最近の建築基準法改正で義務化されて採用が増えているが、まだ数は少なく、日本全国に言える事ですが、開放的な壁付きプラスチック換気口が殆んどですと説明した。
スウエーデンでは、ドラフトが有利な屋根出し排気筒が殆んどの家々の屋根に付いているので、ハンス・エーク氏は日本の家の屋根には排気筒が無いので不思議に思ったのだ。
Q:『こちらの暖房器は昨日の家電品店で見た様な物か?』
そうです。
室内拡散方式の石油ストーブが主流です。
セントラルヒーティングは北海道でも、新築物件でもようやく70~80%の普及です。
それでは、『室内空気を汚染するではないか?文化や経済の進んだ日本で何故その様な暖房方式を取るのか理解出来ない』と言った表情をしている。
Q:『断熱厚さはどの位なのか?』
長野では、壁内100㎜もあるが、数は少ない様です。
北海道でも、100㎜以上となるとあまり採用されていません。
スウェーデンの断熱基準からすると、余りにも薄い断熱厚さに驚いた様子です。東京、長野の宿泊先や立ち寄った建物からも、既に建築家としての感覚でその違いは読み取っているでしょう。
そしてその実態と、スウェーデン国内で紹介かれている日本の華やかさや経済大国の情報なのとのギャップに驚き、何故私達がスウェーデンまで出向き、外断熱や無暖房住宅に興味を示すのかも解りかけてきた事でしょう。
長野市内を通り長野駅前の開場に到着した。
ハンス・エーク氏は、早速パネリストとの打ち合わせを始めた。
ロビーに出ると、受付付近が大変混雑している。
外断熱推進会議信越支部が、地元新聞やテレビ等で講演会開催の報道をおこなった効果だ。
平日にも関わらず、大勢の傍聴者が来場した。
準備していた椅子もたりず、補助椅子を用意する状態だった。
7.『長野講演』(その2)に続く。