2005年2月22日(火)
新幹線あさまの車窓からの景色もソコソコに、プレゼンテーションの確認をハンス・エーク氏と堀内事務局長が始めました。
その作業確認がようやく終わり、少し寛いだ雑談の中で宿泊先のホテルについて感想を聞くと、『暖房がダクト型の温風方式の為、室内に風が巻き起こり不快なこと、窓が開けられず(危険防止)大変暑かった事、そして朝部屋の窓ガラスが結露でべしゃべしゃだった事、総括的には建物の性能が大変悪い』と印象を話ました。
ハンス・エーク氏がビールを口にして、リラックスだしたころ長野に到着してしまいました。
長野駅には、地元企業である綿半鋼機㈱の宮下部長が出迎えに着てくれました。
昼食は綿半鋼機㈱さんの計らいで、信州そばをご馳走に成りました。
ハンス・エーク氏は、ピーナッツ系の物にアレルギー反応がるため、そばアレルギーが心配と友子・ハンソンさんが話しました。
老舗の信州そば店に入ると、古風な店構えにハンス・エーク氏は大変気に入った様子でした。
小上がりに席を設けましたが、足の痛いハンス・エーク氏にとってはこれが大変そうな様子でしたが、足を伸ばすことで本人は大丈夫と言ってOKを出しました。
ハンス・エーク氏は前回も話た通り、箸の扱いが上手です。 昨年暮れに、韓国での講演があり、『滞在期間中箸を使う事でなれたと』ここでも話していました。
そして、心配したそばのアレルギーも無い様で、そばを美味しそうに食べていました。
食後、宿泊するホテルのマイクロバスで、善光寺見学に向かいました。 車中でも、盛んに暑い暑いを連発し、一人窓を開けるハンス・エーク氏ですが、私達にとっては普通の車内状態でした。
ハンス・エーク氏は、日本の社寺仏閣には興味が有るようで、善光寺では、建築家の顔を見せて細部についても熱心に見ていました。
特に、屋根の庇部分に質問を寄せ、庇の反りや力の伝達に興味を持った様です。
次に、小布施町に向かいました。
小布施町は、葛飾北斎が滞在し小布施の文化サロンとなった高井鴻山の隠宅「ゆう然楼」がある町です。 それを町が記念館として、廻りの建物も古い町並みに風にして再現して『町並み修景事業』としているところです。
まず、北斎館を見学しました。
町並みを見学した後、宿泊先の湯田中温泉に向かうためバスに戻りました。 車内は、先程とは違い排気ガス臭く、停車中にエンジントラブルがあった様でした。
バスは走り出しまいたが、ノッキングしたりで嫌な予感を感じました。
そして、不安が的中しました。
5.『東京から長野へ』(その3)へ続く。