2005年2月21日(月)
待ちに待った、ハンス・エーク氏が、日本に来る日です。
EIPC堀内事務局長と、この日に合せて日本に来ている通訳の友子・ハンソンさん、私の 3人は成田空港にハンス・エーク氏を迎えに行きました。
コペンハーゲン発、成田着のSAS機は到着が1時間位遅れていました。
漸く、電光掲示板のランプが点滅し到着を知らせました。
そらから30分位して、赤いスーツケース、革の肩掛けカバン(カメラセットキャノンA-1入り)、書類入れ用茶の革カバン、バイオリンケース、黒のトレンチコート、赤い毛糸のロングマフラーそんな出で立ちで、ハンス・エーク氏は到着ゲートから出てきました。
再会の挨拶を交し、成田エクスプレスで東京駅に向かいました。
車内でのハンス・エーク氏は、少し疲れた様子です。 しかし、始めての日本に、列車の中ハンス・エーク氏は、車窓から見える日本の家屋を、興味をもって見ている様子でした。
列車から降りて、東京駅からEIPC事務所へ、タクシーで移動しました。
日比谷公園を横断し、内堀通りに出て皇居前を通る際、友子・ハンソンさんがスウェーデン語で付近の建物を説明していました。
ハンス氏は来日に合わせてデジタルカメラ(キャノン製)を購入してきた様でしたが、操作が不慣れの為、車内からの撮影に手間取っている様子でした。
見かねて私がカメラを貸すと、ハンス・エーク氏は付近を数枚撮影しました。
私は、『廻りに見えている建物がすべて内断熱工法や無断熱で造られた在る事を、何処まで知っているのだろうか。』そんな事を考えながら、彼を見ていました。
EIPC事務所に着き、早速、セミナー用のパワーポイント画像のチェックを行いました。
ハンス・エーク氏は、ホテルに寄るとそのまま寝てしまいそうなので、事務所に直行して、講演の準備作業を行いたいと希望したからです。
英文の部分を日本語に翻訳直し、解釈や表現を確認しながらの作業は、2時間位掛かりました。
作業中、椅子に掛けるハンス・エーク氏は足が痛い様子です。 エコノミークラスの狭いスペースでの長旅は、足が自由にならず、歩行も出来なかったため、左膝辺りを盛んに摩っています。 何度も、事務所内を歩行しながら状態を確かめていました。
更に、『室内が暑い』と盛んに言います。事務所の窓は開閉出来ないため、我慢していた様です。 慣れた私達には、あまり感じないのですが、ハンス・エーク氏は盛んに暑がっていました。
この言葉はこれから行く先々で、何回もハンス・エーク氏から聴く事に成りました。
その理由は、スウェーデンの室内温度は、国の指導で暖房は低温暖房です。 そのため、日本の室内温度より低めなのです。 建物躯体の蓄熱効果は良いのですが、室温は低いため、日本の室温が事の外、熱く感じたのでしょう。 ハンス・エーク氏は日本滞在中『暑い、暑い』と言い続ける事と成りました。
夕食は19:00頃に成り、新橋の居酒屋北海道で、日本食を準備しました。
ハンス・エーク氏は、好き嫌いは無く、そして意外にも箸の扱いは大変上手でした。 日本に来る1ヶ月程前に『中国に行き、箸を使ったからだ』と、それを答えました。
食事中、『窓から見えるビル群も全て内断熱又は無断熱ですよ』と言う、堀内事務局長の言葉が信じられない様な顔をして、窓を見つめました。
今日一日、時差を克服し最後までお付き合いしてくれたハンス・エーク氏と共に、宿泊先のホテル愛宕山東急インに着いたのは、21:00頃でした。
チャックインを済ませ、エレベーターで宿泊室へ向かいます。 笑顔で『また、明日』(もちろん英語で)と言って、ハンス・エーク氏は、先の階でエレベーターを降りました。
明日から、英語の不自由な私とハンス・エーク氏の同行が始まります。(すごく不安です。)
しかし、無暖房住宅の設計者からどの様な言葉が聞けるのか、滞在中のハンス・エーク氏を追い続ける為の同行に、気持ちも高ぶります。
長い一日がようやく終わったと言った感じでした。 私は、緊張のための疲れがきたのか、直ぐにベッドに横に成り眠りにつきました。
その③『東京から長野へ』に続く。